カフェにて

昨秋東大寺LIVEの日、ごった返すならまちでカフェに入り、PCでカタカタ仕事しながら人を待っていたときのこと。

ご近所のおじさんぽい方が何人かやってきて、顔見知りなのかどうか、一人また一人増え、7人、8人ぐらい。お話しされているお声も大きいので、聞くともなしに聞こえてくるお話は最近の奈良の経済について。

そこそこの企業の本社は京都には幾つもあるけど、奈良にあるのは〇〇銀行だけや。そもそも経済どうする考え言われてもな。(話は戦争直後にさかのぼって白熱)進駐軍指令で神道が禁止されかけたこと。あんときはもうどうしたらいいかわからんくて

(え、おじさんたちリアルタイムなん!!>自分心の声)

暦も生活も何もかもお寺さん中心の生活、いま切り離して経済と言われてもと頭をひねっていらっしゃった。ひとしきり白熱したりうな垂れたり、難波京とか戦後の財閥の話もあったけど記憶が泡。

最後にやかましくてごめんやでと私にもご挨拶下さり、おじさんたちご帰宅

 先日再びの奈良でお水取り(修二会)のはじめての日没の行に、凄まじいエネルギーの集中を感じた。そしてふわっとおじさんたちの白熱教室が頭をよぎり、奈良はそういう場所、人のふだんと心の想いとが神仏に紡がれている場所。

なんなら東京から数時間で行けることがファンタジ―かも?

あのカフェも夢だったんだろうか。